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それから何年もたったころ、鬼の子が大多鬼丸と名乗って暴れているという噂が、鬼生田の村にも聞こえてきたんだど。大多鬼丸は、大滝根という所に住み、手下を大勢ひきつれて南奥州の大将になったんだと。
人々は大多鬼丸を「鬼」と呼んで恐れていた。
大多鬼丸の勢力は、どんどん広がり、その噂は遠く京の都まで聞こえてきたんだと。
その話を聞いた桓武天皇(かんむてんのう)は、時の将軍である坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)に大多鬼丸征伐を命じた。
坂上田村麻呂は郡山(こおりやま)の金屋(かなや)で生まれた人なんだよ。ほれ、郡山市には、田村町とか田村という地名がつくところがあっぺした。それは皆、田村麻呂に由来してんだけど、その話は、またこんど話すっぺ。
さて、坂上田村麻呂は、大多鬼丸を征伐に向い、大滝根で激しい戦いをくりひろげ、抵抗する大多鬼丸の軍勢をことごとく滅ぼしたが、大多鬼丸とその一味は、戦死した者たちのなかには見あたらなかったそうだ。
しばらくして「大多鬼丸とその一味は紀州の熊野に逃げた」と鬼生田の村の人たちの噂になったど。
そしてな、鬼生田の人たちが熊野権現に参拝すると鬼の魂が故郷を懐かしむあまりお参りに行った人を帰さなかったんだと。それで熊野参拝はしないんだとさ。
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