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 当時梵鐘は永徳2年11月8日(1382年)大檀那平遠長、他21人の方々が浄財を出し合って完成したものです。
 当時の住職は応衡という方の代、證本というお坊さんが鋳造奉行をつとめたと寺伝にあり、鋳造師は秦景重と記されてあります。
 秦景重の作品は応永年間(1394年〜)宇都宮市一向寺の阿弥陀如来(国指定重文)、宇都宮市二荒山神社の狛犬(建治年間1370年)(重美)千葉県一の宮、香取神宮寺の梵鐘(現、神奈川県羽鳥)などが残されております。
 この度、鈴木咲子殿の発願により大梵鐘が六百年振り原形を拡大再鋳され妙音を奔鯨の如く響かせることが出来ます。
 鐘楼堂は当時檀信徒の方が浄財を寄せ総欅造りで大工棟梁鹿又初雄が卓越せる技術で当り石工吉田照夫氏が渾心ののみ振い完成をいたしました。

 この鐘に纏る悲しい話が伝えられております。
 阿武隈に鶴子淵と呼ばれる地名があります。当町内、木村の城主木村信常公は、田村清顕公の家臣で木村館の城主でした。天正7年(1579年)春、二本松城畠山家、会津城主芦名家、須賀川城主二階堂家の連合軍と田村家との合戦となりました。木村信常は畠山家の家臣、新城少弼と遊佐下総守の勢を自城に引き入れ、田村家を攻撃せんと計略をめぐらしました。
 これを知った清顕公は、大いに怒り重臣、鬼生田弾正、前館主人に下知して木村館を攻めました。
 木村家への攻撃は凄じく一族は悉く殺されました。妻子はとらえられ鶴姫をはじめとする人々は、阿武隈川の牛ヶ久保という深い淵に沈められました。
 そのとき魂魄鶴姫はここに留まり、この川の主となって仇をなすであろうと怨みを残して沈められたといいます。
 その怨みでしょうか7日間遺骸は下流に浮き上がり流れもせず同じ所に止まっていたそうです。さらに大雨で人々は大いに困りこれは鶴姫をはじめとする一族の怨みであろうと当寺の梵鐘をその淵に沈め懇ろな大供養をいたしました。その時大きな緋鯉が天に昇ったと伝えられます。鬼生田、前館両家の人々も鶴姫始め皆々就仏を遂げしものとこの鐘を引き上げ又、廣度寺へ納め永く供養をいたしました。
 鶴姫や一族の子女が沈められた場所を鶴子淵、7日間遺骸が浮かび梵鐘を沈めて供養した場所を七日淵と今も呼ばれております。
 梵鐘一声は諸仏の説法の声、遠きご先祖を偲び利益と福徳を願い真心込めて撞きましょう。必ずや願は叶えられます。


曹洞宗鬼生山 廣度寺
〒963-0921 郡山市西田町鬼生田字前田119 
TEL 024-972-2714 FAX 024-972-2500

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